翻訳と辞書
Words near each other
・ ジャン2世 (アランソン公)
・ ジャン2世 (エノー伯)
・ ジャン2世 (オーヴェルニュ伯)
・ ジャン2世 (キプロス王)
・ ジャン2世 (フランス王)
・ ジャン2世 (ブラバント公)
・ ジャン2世 (ブルターニュ公)
・ ジャン2世 (ブルボン公)
・ ジャン2世 (ロレーヌ公)
・ ジャン2世・ド・ベリー
ジャン2世・ド・リュクサンブール (リニー伯)
・ ジャン3世
・ ジャン3世 (ブルターニュ公)
・ ジャン4世
・ ジャン4世 (ブラバント公)
・ ジャン4世 (ブルターニュ公)
・ ジャン4世・ド・ブロス
・ ジャン5世 (ブルターニュ公)
・ ジャン=ジャック・アノー
・ ジャン=ピエール・ダルデンヌ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジャン2世・ド・リュクサンブール (リニー伯) : ミニ英和和英辞書
ジャン2世・ド・リュクサンブール (リニー伯)[じゃん2せいどりゅくさんぶーる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

ジャン2世・ド・リュクサンブール (リニー伯) : ウィキペディア日本語版
ジャン2世・ド・リュクサンブール (リニー伯)[じゃん2せいどりゅくさんぶーる]

ジャン2世・ド・リュクサンブールJean II de Luxembourg(-Ligny), 1392年 - 1441年1月5日)は、百年戦争期のフランスの貴族、軍人領主、ギーズ伯、リニー伯。ジャンヌ・ダルクイングランド陣営に売り渡した。
== 生涯 ==
ブリエンヌ伯ジャンとその妻のマルグリット・ダンギャンの間の息子として生まれた。父の死後、を相続した。百年戦争中のにおいては、2人の兄、ピエールおよびルイとともに、イングランド=ブルゴーニュ陣営についた。1414年、主君のブルゴーニュ公ジャン・サン・プールアラス代官の職を与えられる。1418年、サンリスの町をアルマニャック派軍勢の包囲から解放した功を認められ、パリ軍事総督に任命された。1421年のの戦闘で負傷した。1423年よりイングランド=ブルゴーニュ連合軍の下での指揮官となり、包囲戦やに参加した。翌1424年、ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターの指揮下でシャルル7世軍からを奪回し、翌1425年にギーズ伯領を授けられる。1430年1月10日、兄ピエールとともにブルッヘにおいて金羊毛騎士団の最初の会員に選出された。
に参加した際、1430年5月23日に自身の従士がジャンヌ・ダルクを生け捕りにした。コンピエーニュに陣取るシャルル7世派の軍勢に彼女を奪回される恐れがあったため、ジャンは自分の居城ボールヴォワール城にジャンヌ・ダルクを連行し、伯母と妻に彼女を監視させることにした。ジャンの許には百年戦争の全ての陣営からジャンヌ・ダルクの身代金支払の申し出が舞い込んだ。主君のブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンは、同盟者のイングランド陣営に身柄を引き渡すよう求めた。ジャンの同居する伯母ジャンヌ・ド・リュクサンブールは、シャルル7世の名付け親だったこともあってジャンヌ・ダルクに同情的で、甥が彼女をイングランドに引き渡すことに反対した。伯母はジャンに、もしジャンヌ・ダルクをイングランド人に売り渡せばリニー伯領の相続権を剥奪するとまで脅しをかけたが、9月18日に死去した。結局、相続権剥奪の恐れの無くなったジャンは、ボーヴェ司教ピエール・コーションおよびパリ大学の要求に応じて1万リーヴル・トゥールノワの身代金と引き換えにジャンヌ・ダルクをイングランド人に引き渡した。10月26日、ジャンはコンピエーニュ周辺での戦闘で重傷を負って居城に引き上げたが、その2日後にイングランド=ブルゴーニュ軍勢はコンピエーニュから撤退した。
ジャンはその後もシャルル7世派の陣営との戦いを続け、その名声は高まっていった。1435年には、主君ブルゴーニュ公と共に、ブルゴーニュ陣営とフランス王陣営の争いを終結させるアラスの和約に調印した。1441年に死去し、に葬られた。1418年にモー子爵領の女子相続人ジャンヌ・ド・ベテューヌ(1449年没)と結婚した。妻はマルル伯・ソワソン伯ロベールの寡婦であった。間に子供は無かったので、遺産は甥のサン=ポル伯ルイに引き継がれた。なお、1435年に妻の連れ子ジャンヌ・ド・マルルを甥ルイに嫁がせている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャン2世・ド・リュクサンブール (リニー伯)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.